今回は筆者『流石の三太郎』の私的な体験をを交え、Oiというジャンルについて触れていきたいと思います。
筆者はPunk(パンク)、HardCore(ハードコア)と呼ばれる音楽に十代の頃から長く触れてきましたが、Oi(オイ)はパンク、ハードコアと近いジャンル、またはその中の1ジャンル。という認識でおおむね間違いはでないでしょう。
ただし筆者が若い時分 –インターネットは無く、情報は知人、友人などから噂を聞くか、一部のマニアックな雑誌などからしか得られなかった頃– には『Oi (オイ)』について正しい認識に至る事は中々出来ませんでした。その後、大人になり仕事に就くような頃になってもOiについて深い見識を持つ人とは運悪く出会えませんでした。
そんな筆者が2000年初頭から少しづつOiに触れ、今なお続くOi 探求の旅へと至る流れを紹介していきたいと思います。
2002 HOLIDAYS IN THE RISING SUNで感じた衝撃
2002年の10月12日、14日の2日間に渡って『HOLIDAYS IN THE RISING SUN (ホリデイズ・イン・ライジング・サン)』というイベントが横浜ベイホールで開催されました。
ハードコア・バンド『THE EXPLOiTED (エクスプロイテッド)』や『ADICTS』日本からは『鉄アレイ』『PAINT BOX』など、パンク、ハードコア、Oiバンドが20バンドくらい出演した派手なイベントでした。当時の筆者は30歳前後、パンクロックのライブから少しづつ足が遠のきつつある時期でしたが、重くなりつつある腰を上げて参加しました。
結果としては、このイベントの為に来日し出演していたOiバンド『THE BUISINESS (ビジネス) 』を観た瞬間、十代の頃『RAMONES (ラモーンズ)』から受けた……のと同じぐらいの衝撃を受け、そこからOiに関する情報収集が始まったのでした。
イギリスのワーキング・クラス達がそのフラストレーションを原動力として注ぎ込むかのような激しいビート。煌びやかさとは真逆、不器用さと力強さが同居した、心地よいパンクロック。そしてそれを楽しむパンクス、ブートボーイズ(ブーツ姿、スキンヘッズやルーディー等)達の様子も含め、筆者が当時感じていた社会への閉塞感を日吹き飛ばす、強烈なインパクトでした。
90年代以前にもOiバンドは来日していた様ですが、当時の日本はバブリーな時期。企業の呼び屋さんあっての招聘で、膨大な資本が入ったライブ会場でのOiライブというのはどんな感じだったのだろう……と想像するのですが、どなたか詳しい方が居たら教えてください。
そして個人的には、2000年前後どころか、さらに一層何もかもが終わりに近づいているかのような昨今(2018年)の日本の状況は、Oiの衝動や空気感にぴったりなのではないかと感じています。
話を『ホリデイズ・イン・ライジング・サン』に戻すと、同イベントではひとつの事件が起きています。
同イベント1日目に出演した『COCKNEY REJECTS(コックニー・リジェクツ)』のフロントマンのJeff “Stinky” Turner (ジェフ・スティンキー・ターナー)が、同じイギリスの某バンドの野次に怒り、沢山のオーディエンスが見ている会場で鉄拳制裁を加えたのです。
筆者はその惨劇は実際に目にしませんでしたが、海外アーティストを多数呼ぶようなイベントでの暴力沙汰という事で当時の界隈では相応に話題にあがったようです。某巨大掲示板の過去ログにもその様子についての書き込みが残されていました。
後に、海外ドキュメント番組でジェフ・スティンキー・ターナーは自信のフーリガン・イズムが抜けない怖さを吐露しています。
Oi のバックボーン。Oiとは何なのか。
さて、Oiとは何なのか。
Wikipediaより引用しましょう
オイ!はパンク・ロックが商業化された後、ハードコアパンク発生より前である1970年代後半にパンク・ロックのジャンルの一つとして認識された。
(中略)
オイ!(oi!)とは古いロンドンっ子の表現で、やあ(hey)やこんにちは(hello)といった意味である。
繰り返しになりますが、端的には1970年代のイギリスにはじまったパンクロックムーブメントのサブジャンルという認識で間違いないでしょう。
そしてそのバックボーンとしてイギリスの労働者階級に付きまとう『労働者階級に生まれたら抜け出せない、一生労働者階級のまま』という閉塞感と、その鬱憤を晴らすひとつの手段としてPUNKがより先鋭化していったひとつの方向性がOi という音楽スタイルと言えるかもしれません。
そしてそういった環境に身を置く人々の公約数として、労働者の靴であったドクターマーチンのブーツと、こちらもかつては庶民服であったフレッド・ペリーのポロシャツ……そういったファッションを身に着けて『ワーキング・クラスであることを誇る』スタイルがOiとしてのスタンダードとなっていったように観測しています。
Oiとフーリガン
Oiは、フーリガンとほぼ同義のように語られる事もあります。
実際にロンドンOiのバンド達には、ロンドン東部 労働者階級の住まう下町をホームタウンとするフットボールチーム『West Ham United(ウェストハム ユナイテッド)』のサポーターも多いようです。

特に中産階級に人気の『Chelsea(チェルシー)』のサポーターとは仲が悪いと言われる同チームのサポーター達。
日々を労働に費やし、週末はうっぷんを晴らすためにビールを飲み、有り余ったフィジカルを解放するためにスポーツを楽しみ、時に熱狂が度を越して暴徒化してしまう。そういった層がOiとよばれる音楽シーンを好む層と根本が同じである結果として、ニアリーイコールとして世に認識されていった事は想像に難くないでしょう。
Oiは差別主義的なのか
Oiのファン層や、スキンヘッズ達は、時に度を越えたナショナリスト、人種主義的だとか、ネオナチだとか……誤解されている事も多いようです。確かに、筆者が若い頃に知り得たOiやスキンズの情報には、そういった不穏な内容が多く伝わってきました。
ですが、実際には『S.H.A.R.P. 思想』に代表されるアンチレイシズムを掲げるOiバンド達も多く、ファッションやスタイル、文化としても白人だけでなく、R&B、レゲエ、スカ、ジャマイカンたちと共に作り上げて来たシーンも存在し、実情はやや異なると言えるでしょう。
後編では、そのあたりについても触れつつ、実際のOiバンドが活躍する動画をご紹介したいと思います。