皆さんはアニメや漫画において呼ばれる『聖地』をご存じでしょうか?
アニメや漫画などの作品で舞台となった場所や関連する地域を『聖地』と呼び、ファン達が熱し人に観光に訪れる行為を『聖地巡礼』などと呼んだりします。
特に昨今で有名なのは、2012年10月から放送されたアニメ『ガールズ&パンツァー』の舞台となった茨城県大洗町でしょう。
全国に数ある聖地の中でも群を抜いた人気で、毎年秋に行われる現地のお祭り『あんこう祭』には、10万人を超えるファンが集まります。
また、一年を通じて商店街には同作品のキャラクター立て看板などが設置され、誕生会やオフ会といったさまざまなイベントも開催されています。そして熱心な同作品のファンは通称『ガルパンさん』とも呼ばれ、日々、住民の方々との交流が盛んに行わているのです。
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巡礼から移住に……!?
そして昨今、この『聖地巡礼』を行うファンたちの中でも巡礼に留まらず、遂には引っ越しをしてしまう『聖地への移住者』すらも居るそうです。
作品に対する深い愛情や熱心なファン心理については個人的にも良く理解できるのですが……反面『仕事はどうするの?』とか『地元の人とは上手くいくのか?』などさまざまな疑問も浮かんできます。
ヨネカワ酒店とORACLE大洗
少しだけ話は変わって、大洗には『ヨネカワ酒店』という創業70年の老舗酒屋さんがあります。
そしてこのヨネカワ酒店さんは、現在は特に目立ったガルパンタイアップをしていないにもかかわらず、多くの『ガルパンさん』を引きつけて止まない人気の酒屋さんです。
ヨネカワ酒店

ヨネカワ酒店 公式 twitter
茨城県大洗町大貫町565
TEL:029-267-3447
そして昨年(2017年)の末、同店の三代目の店主 米川宏晃さんは『夜の大洗をもっと活性化させたい!』という想いから、大洗では珍しい深夜2時まで営業している『ORACLE大洗』というハンバーガー&カクテルのお店を開店しました。
ORACLE大洗
ORACLE大洗 公式twitter
茨城県東茨城郡大洗町港中央17−3
TEL 029-352-2722
そしてそして、この『ORACLE大洗』の店長である近藤洋輔さんも『聖地巡礼』をするファンから大洗へ『移住』をしたという方のひとりなのです。
そこで、今回は大洗の老舗『ヨネカワ酒店』の気さくな三代目店主 米川宏晃さんと、実際に移住した”ガルパンさん”である近藤洋輔さんに、どういった経緯でコンビを組み、お店を開く事となったのかといった所を中心にお話を伺う機会をいただきました!!
以下、『ヨネカワ酒店』店頭での、約1時間に渡るロングインタビュー。少々長めですが、『大洗の今』が分かるとても興味深いお話が聞けましたので、どうぞ最後までお付き合いください。
今回の記事内で使用している写真は、ライター『しんいち』の撮影した物の他、米川さん、近藤さんのご了承を得てツイッターから利用させていただいたものが含まれます。
『ガルパンさん』が集まる不思議な酒屋『ヨネカワ酒店』について
ー(しんいち)お二人とも、今日はお時間をいただきありがとうございます。つきましては簡単な自己紹介をお願いします。
米川さん(以下”米”):米川宏晃です。ヨネカワ酒店三代目、年齢は非公開で(笑)。
近藤(以下”近”):近藤洋輔です。ORACLE大洗の店長をしています。年齢は32歳になります。(※近藤さん個人 twitter)
ー米川さんは生粋の大洗っ子、近藤さんはガルパン好きが高じて大洗に移住してきたという事ですよね。
米:そうですね。その通りです。
近:大洗に移住して、米川さんと仕事をしてます。
ーまず、ヨネカワ酒店さんの簡単な歴史からお伺いしてよろしいでしょうか?
米:創業70年弱、戦後すぐ位に祖父は旭村で農家をしていて、しこたま稼いだお金を持って酒屋に転身、自分が大好きなお酒を売ろうと開業しますが、あっという間に傾きます(笑)。父や私の幼少時代は滅茶苦茶な貧乏をしまして、一日にお酒が数本しか売れないような日もあったと聞いています。
ーうわぁ
米:そして二代目、父の代になり、めっちゃバブルで大儲けします。毎日缶ビールをトラック2台で駐車場に山積み……。そんなこんなで財をなしますが、父はバブル景気に乗りゴルフ会員権や投資に乗っかり、あっという間に傾きます。
ーうわわ……
近:(米川さんのお父様について)そうは見えないですけどね。
米:当時はそういう話が多いから、乗っちゃったんだよねぇ。その後、そうは言いつつも、バブルでのお金が少し残っていたので、私自身はそこまで貧乏でもなく、派手でもなく。……細々と生活をしつつ、三代目の私に至ります。
ー米川さん自身は、ずっと大洗での生活なのですよね。
米:そうですね。ほぼほぼ大洗ですね。女性関係で他に行くこともありましたが(笑)
東日本大震災 被災とその後
ーお店自体の場所は、元々この場所ではないですよね。以前お伺いした話だと、震災の影響で移転をしたとか。
米:はい。震災前は、一本海側の通りに(茨城県大洗町大貫町65 Googleマップ)住宅兼店舗で営業していましたが、津波と地盤沈下で家がだめになり、仮の店舗で1年やろうと現在の場所にお店を構えました。そうしたらガルパンの大ヒットがあり、それにつられて聖地巡礼ついでにその近所で買い物をしてくれる方が来てくれるようになり、そうなると『もう、ここでいいんじゃねえか?何千万もかけて元の場所に戻ってもね』ということで、母も海の側には住みたくないと言うので家は別に構えて、それから6年間この場所で営業しています。
以前別の機会にお伺いした話ですが、東日本大震災の際米川さんは『津波が来た!』と様子を見に原付バイクで店を出た所、あっという間に津波にバイクごとさらわれて流されました。
ですがサーフィンが趣味の米川さんは、津波が口の中に入った瞬間『あ、これ海水だ。てことは海なんだ』と妙に冷静になり、その後しばらく流れに身を任せた上で、現在の店舗付近で消防団の投げたホースにつかまり無事に救助されたという事です。……壮絶。
ー震災後は『がんばっぺ、がんばっぺ!』と、ボランティアさんが沢山の大洗だったと思うのですが、ガルパンのヒットがありそのムードは変わりましたか。
米:最初の聖地巡礼ポスターを張り出した頃は、まだ旧店舗だったんですが、ガルパンさんがトントン拍子に増えて。
3ヶ月後に現在の場所に移り、テラス席を造りました。最初はどうなるかと思ったけど、席にお客さんが座り、一本目の缶ビールを『カシャッ』と開けてくれた瞬間に、裏では皆で大拍手。席を用意すれば飲んでくれる人がいるんだなと感動しました(笑)
ーということは、それまでは角打ち(酒屋の店頭一角を仕切って立ち飲み)的な事もしていなかったのですか。
米:そうです。お酒を売るだけの酒屋です。たまに店の前で、買ってすぐワンカップを飲む人がいるくらいです。
ガルパンさん衝撃のパネル返却
ー他の店舗さんではシンボル的な存在になっている、ガルパンのパネル(※)が以前は設置してありましたよね。
※2013年より大洗で行われている『ガルパン街なかかくれんぼ』にて
米:お、その話になりますか(笑)。
ウチにあった黒森峰のエレファントのパネルは、10ヶ月間ほど置いていました。色々な決まりごとの中で、設置から一定期間で『今後はどうしますか?』とお伺いがくるので、諸々を鑑みた結果『返しましょう』という判断をしたわけです。
しかしこの判断が、『どうして?』『悲しいです!』『ヨネカワさんのエレファントが!』とツイッターで軽い炎上のような形になってしまい、その反響に驚いたんだけど、もう返すって言っちゃったし。
何より、うち(ヨネカワ酒店)がこのパネルで、沢山のガルパンさんに来ていただいて恩恵をうけたので、せっかくなら他の何処かのお店でもまた生かされればという事で。そうなれば結果として大洗がもっと盛り上がるだろうという気持ちで『他のお店で使ってください』と、お返ししました。
ーなるほど。ちなみにパネルが無くなったあと、ガルパンさんの来店に変化はありましたか。
米:無いですね。何も変わらないです。というよりガルパンさんは増える一方で。パネルが無くなった事が騒ぎになったのも最初の二週間位で、その後は誰も何も騒がないです。
ーそうなんですか。ちなみに他のお店は、パネルを全面に出してイベントを行ったり、グッズ制作なども行ってらっしゃいますが、それをしない理由何故なんでしょうか?
米:単純に忙しいから、その暇がありません(笑)。土日は配達もありますし、お酒を売らなければいけませんから。
ーなるほど。酒屋さんですからお酒を売らなければ。と。
米:そんな中でもありがたいことにガルパンさんの常連さん『ヨネカワ組』と呼ばれる方々が『ヨネカワ感謝祭』という、炊き出しのような形でのイベントを年に1回、お店の前の駐車場で行っていました。しかしこれも、やむにやまれぬ事情や駐車場でのイベントも厳しいということになり、都合3年間の開催で終了となりました。
ーなるほど、そういう経緯があったのですね。個人的にも1度位参加してみたかったです。
米:仕方がありません。私がダメと言った訳ではないのです(笑)
大洗への移住者『近藤さん』について
ー近藤さん、おまたせしました。移住までの経緯ですが、やはりガルパン好き、アニメ好きなんでしょうか。
近:そうですね。元々アニメは大好きで、友達に勧められたガルパンを見て、とても良い作品だなと思いました。しばらくして聖地巡礼に誘われて、友達と大洗にきました。すると、作品ままの町並みがあり、商店街にはキャラクターのパネルが並び、その時に『ここはオタクが生きられる町なんだ!』と感動しました。大洗に来るまでは、毎週のように秋葉原などに遊びに行くことが多かったのですが、大洗には第二の秋葉原がある!秋葉原の他にもオタクが生きられる町があるんだ!よし!じゃあ住もう!!……と。
初めて大洗に来てから一ヶ月後には移住をしてました。
ー決断が早すぎます。
米:劇場版の後だっけ?
近:後ですね
米:ガルパンを初めて見たのはいつなの?
近:2015年の劇場版公開直後です。
ー結構、最近ですね
近:実は新参者なんです。
ーちなみにどちらから移住されたのですか。
近:神奈川県の厚木からです。
米:彼の荷物がアマゾンからうちに届くんだよ。だから、アマゾンの奥地から来たんだと思ってたよ(笑)
近:それは通販ですよ(笑)。ヨネカワさんに送るほうが受取が楽なんです。
聖地での生活
ーこちらで生活するにあたり、お住まいや、仕事はどうされたのですか。
近:それは恵まれておりまして、友達が『俺もしょっちゅう行くから、シェアハウスで一緒に住まないか?』と声をかけてきてくれて。4、5人で借りるという話になり、ちょうど移住をしたいなと考えていたタイミングだったので、『こりゃラッキー』ということで、最初の契約金の一部と光熱費を全部持つという事でシェアが決まり、引っ越すことになりました。今でもシェアハウスということにはなっていますが、友達の熱も若干冷めつつ有り、今では月に1回程度来れば良いほうなので、ほぼ一人で住んでいます。ちなみに、何故か米川さんもシェアハウスのメンバーです(笑)
ー米川さんは、シェアハウスで料理とか作られていましたよね。
米:最初の頃は行ってたね。最近は仕事が忙しくてあまり行かないけど。
ー住む場所は決まりました。仕事はどうされたのですか。
近:仕事は、インターネット環境があればどうにでもなるので、どこに行っても基本的にはかわらないのです。仕事をしているのは大洗ですが、勤務先は今でも神奈川です。
ーさすがネットの時代ですね。
米:俺もネットで仕事したいわー。
近:最近やっとガラケーからスマホになった米川さんにそれが出来るのか。
米:ネットでお酒を売って、ネットから薪ストーブ(※)に火がつくようにしたい。
ヨネカワ酒店さんの店頭には、冬場には薪ストーブが設置されます。
ー米川さんと知り合いになったのは、大洗に来てからなのですか?
近:移住前に一度、エレファントのパネルを探しに来たことがあるんですが、来てみると情報が古くて、米川さんのお父様に『ないよー』と言われて帰りました(笑)。その後、移住したのが2016年の6月なのですが、することもなく暇を持て余していて、大洗をブラブラしつつツイートしていたら、いきなり米川さんから『暇なら遊びにおいでよ~』とリプがあり。『この人いったい誰?』とも思ったのですが、その頃に大洗に来るガルパンファンの間で、『ビワミン』という謎の飲み物が話題となっていて、その飲み物を出している店だと知り、翌日には挨拶に伺い仕事の名刺を渡しました。
米:名刺? 覚えてないなぁ……
ー沢山の人が来店されますものね
米:色々な人から、名刺やお土産をいただくので、覚えるのが大変で。でもツイッターを見ていて、たまーに変なリプを送るんだよね。大洗の写真上げてる人に『その道を直進しちゃダメです』とか。そうすると『何故ですか?』と返事が来るので、『その道の先にはヨネカワ酒店があるから危ないです』と。
近:確かに危ないです。
ーボクも、ビワミンってなんだろうと、ヨネカワ酒店さんを訪れたんですが、その時は定休日だったんですよ。そこで写真と一緒に『休みだった』とツイートしたら、即『また来てくださいね』とリプが有り、この人商売熱心だなと驚きました。
米:単に遊んでいるだけですよ。しかもガラケーで(笑)エゴサしてリプしてました。
ービワミンを提供するきっかけは何だったのですか
米:『ヨネカワ組』のお客さんが、棚の瓶を見て『なにこれ、飲んでみたい』と言うので、じゃあ出すかと炭酸で割ってジョッキで出したら『これ美味しいよ、売ったほうがいいよ!』と。おかげさまで、今ではビワミンを全国で一番売るお店となり、熊本の本社に招待もされました。日本一ビワミンを売るヨネカワを、是非全国の販売店に紹介したいと。でも、忙しくて行けないので断りました(笑)
大洗とサーフィン
ー移住後、すぐにヨネカワ酒店に通うようになったそうですが、きっかけなどはありましたか。
近:そうそう、遊びに行ってすぐに、米川さんから『サーフィン教えてあげるよ。道具もレンタルするから』と持ちかけられて、興味があったので、サーフィンを教わりつつ、いつの間にか忙しい日はお店も手伝うようになり、そこから週に何回も通うようになりました。
ー米川さんは、ずっとサーフィンをやられていますよね。サーフィンのメッカですし、大洗は皆さん波乗りなのですか。
米:うーん、全員って事も無くて、やらない人はやらないかな。あとは自分位の歳までやってる人は少ないね。体を鍛えるのが好きだから、トレーニングの一環として続けている感じです。
ー何故、サーフィンに誘おうと思われたのですか。
米:その頃は毎日やってたからねぇ。だから気軽に『一緒にやろうよ』という感じで。最近は忙しくて全然行けてないけど。
近:サーフィン仲間が心配していますよ。
米:仕事が忙しいからねぇ。
念願の痛車造り
ー移住から、トントン拍子で話が進みましたね。忙しい夏が過ぎ、冬が来ると。
米:冬は何やってたの?
近:痛車作りです。大洗に移住する前から『あんこう祭』に痛車を作ってコンテストに出店すると決めていたんですよ。僕はコスプレイヤーなので、作品愛をコスプレで表現しているのですが、ガルパンは女性キャラばかりで。僕の場合は女装コスプレはしないので、それならば痛車で愛を表現しようと決めました。
ー立派な痛車ですが、当時ラッピングフィルムをヨネカワ酒店さんの駐車場で貼られていましたよね。
近:最初、痛車作りの大手さん数社に見積もりをお願いした所、『あの車だと80万円かかります』と。どの会社も同じような金額で、これは高いなと悩んでいたのですが、実はシェアハウスの友達が印刷会社に勤務していて、同人活動もしているので相談してみると『ラッピングは自分でして、印刷だけなら25万円位で出来るよ』と聞きお願いしました。
その後は、その友達と一緒にデザインを考え、印刷し『さあ貼るぞ!』となったわけです。
ーすごくきれいに貼れてると思います!
近:痛車作りはもちろん、ラッピング張りも初めてなので『とにかくやってみよう!』と。なので、粗い部分もありますが、無理やり仕上げました。
ー苦労された点などはありますか
近:とにかく人がいないと貼れない(笑)。側面などは一枚が長いので、三人がかりで貼りました。米川さん、シェアハウスの友達、そして詳しい他のガルパンさんにアドバイスを頂いたりしながら、なんとか完成しました。
ーそして念願の2016年『あんこう祭』への出展へと。
近:本人は優勝する気マンマンで参加したのですが、『かわいい部門』で2位という結果に終わりました。
ー2位ですか、それも凄いですよ!
近:絶対に優勝するつもりだったので、2位という結果に満足できず。実はあんこう祭の夜はむちゃくちゃ悔しくて、本気で泣いてました。
米:そうだよねぇ、やっぱやるなら優勝だよね。2位は悔しいね。
近:あんこう祭前から、実は『ヨネカワ酒店のデモカーにしていいか』と聞いていて。『良いよ!』ってことでデモカーとして出したのですが……。本当に悔しかったです。泣きました。
ーデモカーにするのは何か理由があったのですか
近:実は、移住した6月から痛車を作り始める10月まで、米川さんにはお世話になりっぱなしで、食事をおごってもらったりで、痛車作りも協力してもらったりと、自分としては本当にお世話になったので、何か恩返しをしたいなと考えていたので。是非デモカーにさせてくださいとお願いしました。
米:そろそろ(恩を)返して(笑)
近:ええええええ!本気ですか!
米:いや、貸したままでいいよ(笑)
ー大洗の痛車では、とても目立っていて有名ですよね
近:いつもいますからね。大洗から出ませんから(笑)。
『ORACLE大洗』開店
ーヨネカワ酒店さんで本格的にアルバイトするきっかけを教えてください。
近:自分の仕事が短時間で終わるので、暇を持て余していたんですよ。小遣い稼ぎもしたいし、最初は大洗の仕事を紹介していただいたりもしたのですが、ちょっと自分とは合わずお断りしました。そしてヨネカワ酒店さんで、最初は忙しい時にボランティアのような感じで仕事をするようになり、そうすると手伝いをした日は必ず晩御飯を御馳走してくれて。
米:そうだっけ?(笑)
近:そして夏が近づくと『海の家への配達があるから忙しいぞ』と誘われて、本格的にバイトするようになりました。冬は逆に『暇だから』ということで、イベントのある時だけ手伝って、週に5日は家にいました。
米:(ORACLE店長の)今と逆だね
近:そうですよ。ゲームも出来ませんよ。アニメも見られません。ブラック酒屋です。
ーその忙しさの元になっている『ORACLE大洗』ですが、どういった経緯で開店されたのでしょうか?
米:まず先に、ヨネカワ酒店ではホットドッグの販売もしているんだけど、これは『せざるを得なくて』やってるのね。実は、親切なお客さんが保健所に『ヨネカワ酒店さんでは、ビワミンなど飲み物を出しているけど、許可を取っていないのではないか。何かあってからでは遅いから、保健所から確認をしてください』と連絡をしてくれたの。そうしたら保健所から『そちらでは許可を取ってますか?』と連絡が来たの。そんなの取ってるわけ無いだろと、つうか保健所が店に聞く話なのか、保健所では把握してないのと聞くと『いやあ、飲食店の数が多いもので、直接お聞きした方が早いかと思いまして』とか言うわけね。
ー保健所は把握してないんですね
米:把握してないよ。あの時『許可は取ってますよ』って言えば、どうなってたんだろう(笑)。そして、じゃあ許可取りますよということで、キッチンを作り、せっかくだから何か料理でもだそうかと考えて、ちょうど遊びに来ていた『あんこうニュース』の中の人に『なにがいいかな?』と聞いたの。そしたら『俺、ホットドッグが食いてぇ!』と言われたので、ホットドッグを出しています。
ーあんこうニュースさんの発案なんですね
米:そう、あの人のせいでこうなった(笑)。ホットドッグにこだわりはない。
近:そう、全くない(笑)
米:ORACLEではハンバーガーも出しているけど、これも全くこだわりはない。強いて言えばハンバーガーはあまり好きじゃないし(笑)
近:試作前に食べ歩きは少ししましたけど、本当に作ったことも無かったです。
ーえー!(笑)でも、とても美味しいですよ
米:ふたりとも味にはうるさいんだよ。
近:だから結果として美味しくなったんですかね。
ーそして飲食を本格的に始めることになったわけですね。
米:ホットドッグが思ったよりも売れて、とても儲かる。そうすると銀行の残高がどんどん増える。しばらくすると取引銀行が『米川さん、お金を借りてくれませんか』となる。銀行は金を持ってる人にしか貸さないので、いろいろな銀行が借りてくれと来るわけで、それなら借りて飲食店でもやろうかと。最初はヨネカワ酒店を改装しようという話もあったんだよね。
近:ありましたね
米:そんな所から、藤乃家※さんの2階が空いているということで、見せてもらったら『ここいいじゃん!』となり、即決して翌朝近藤くんにLINEで『店やっから』と送ったの。
近:『はぁ?』ってなりました。
それまではヨネカワ酒店を拡張してホットドッグを焼こうよという話をしていたのに、朝起きてLINEを見ると、知らない空間の写真が送られてきていて。
米:『だから手伝え』と言いました(笑)
ーそれを決めたのが……米:開店二ヶ月前の2017年9月ちょっとくらい。そこから銀行の審査が1ヶ月くらいかかるので、11月3日に『ORACLE大洗』はオープンするんだけど、内装作業を始めたのは10月1日から。
近:11月1日まで作業してましたね。
米:こんなに早く飲食店を立ち上げるのは、日本でこの二人だけじゃないのかな。実際に作業として動いたのは1ヶ月。
ー凄い早さですね。実際にはメニューも決めないといけないし、大変ですね
近:開店一週間前になって『そろそろハンバーガー作らないとマズい!』となって、米川さんと大慌て。
米:カクテルとハンバーガーのお店をやるというのに、ふたりともカクテルもハンバーガーも作った事がない!
近:ない!
米:ハンバーガーはとりあえず一回作り、そこで具材を決めて、味を決める。ハンバーガーは完成したけど、カクテルはやったことがない!。
近:ない!!
ー私も何度かカクテルについては米川さんに聞かれたりもしましたが、バーテンダーの経験はおありなのですか
米:二十歳くらいの時に、一応やったことはあるから、シェーカーの振り方とか基本的な事は知っていましたが、すっかり忘れていたので。そこから開店までカクテルは作らず、新規開店からフル回転でカクテルを作りました。
ーとなると、今はカウンターに立っているのですか
米:それが、当初の予想よりも忙しく、スタッフを増員することになりまして、基本を教えてカクテルは任せています。今は店長とチーフバーテンダーを立てて、自分がいなくてもお店は回るようになっています。
ー『ORACLE大洗』の内装は、スチームパンクがモチーフですが、これには理由があるのですか
米:いいとこ気が付きますね。ふたりともスチームパンクみたいなのが好きなので。
近:好きですね。そして、お店を開くにあたり『大洗に無いものをやろう』『何で大洗にこんなお店があるの?』と思われるお店をやりたいと決めていたので。
米:大洗には似合わない、大洗の人が『そんなの絶対に流行らないから』と言われるようなものをやろうと決めていたね。
近:営業時間も深夜2時までなんですが、最初は『そんな時間まで営業してもお客は来ないよ』と言われました。
米:私も最初はそう思っていたんだけど、これが開店してみたら逆。お客さんが結構入る。最初は24時まででいいんじゃないかと思っていたんだけど、店長の近藤が『24時閉店だったらやりません』とかなり強く言うので、押し切られました。
近:絶対にやったほうがいいと押し切りました。
米:やってみたら、近所の飲食店の人が、お店が終わってから来るの。
2時閉店だっていってるのに、閉店五分前に来たりする(笑)
ー飲食店あるあるですね
米:2時までやってるのがココスかORACLEなので。でもココスに行っても飲めないし知り合いもいない。でもORACLEに来ると知り合いがいる。
近:『むらい(※1)』さんが終わり、『ドルフィン(※2)』さんが終わり、『花いち(※3)』さんが終わり、『しちりん(※4)』さんが終わりと。
※4 『しちりん』…大洗の旬の味覚が楽しめる居酒屋さん。しちりん twitter
米:そうすると、大洗の人たちが皆がORACLEに集まるんです。ある意味本当のどん底ですよ(笑)
ー確かに自分も大洗で2時ってどうなんだろうと思っていましたが、人が来るのかなと。営業時間は伸ばさないのですか?
近:体力的に無理です。翌日にランチがある日もありますから
ーランチは週末のみですか
米:週末祝日、やってほしいという要望が強いので。チャージがないから気軽に来れる状況を作りたいという気持ちもあります。
ー地元の人は来られていますか。昨年のあんこう祭の時は、持ち帰りをする地元のおばさまもいらっしゃいましたが。
米:まだ二割くらいかな。でも、ランチの持ち帰りは徐々に増えてます。実は、最近営業も兼ねて大洗のお店を食べ歩くようにしているのです。これは『ちゅう心※』の社長が『米川くん、飲食店を始めるなら歩け。足を使え』と。要するに、色々なお店に行きなさいということね。
近:社長にはよく来ていただけますね。気に入っていただいています。
米:ハンバーガーも褒めていただいてます。あれだけ味にうるさい『ちゅう心』の社長が美味いというのだから、美味しいんだと思う。
ーパティもひき肉からこねていますよね。私も食べましたが、目を離したスキに、妻にほとんど食べられました。ORACLE開店後の手応えはいかがですか
米:滅茶苦茶いいです。
近:ビックリする売上で、スーパーカーも夢じゃないです。
米:税金がこわいので買いませんけどね。お金を稼ぐと逆に使えません。油断してスーパーカー買うと大変な事になります。
大洗のこれから
ー私自身は、ガルパンがテレビで放送されて、最後の2話が放送される前の、中断期間の頃大洗に遊びに来たのですが、劇場版の公開前は『これがピークで、後はゆっくりガルパンさんも減るだろう』的なお話をされるお店も多かったのを覚えています。ところがまさかの劇場版大ヒット。
米:初登場4位!
ーそして現在は『完結編』も公開されて、まだまだ人気に陰りは見えませんが、今後の大洗はどうなっていくと思われますか。
近:最終章が年に一話として考えると、5,6年は大丈夫だろうというイメージです。
米:正直、個人的には5年スパンでしか考えてないの。5年後に考えます。
ーそうですね予想できませんもんね
米:ちなみに、あと10年たったら仕事やめようと思ってます。
ーハッピーリタイヤですね。羨ましい。
米:でも、近藤くんには5年はいてほしいかな。これは本音です。
近:そうですね。私も5年後にどうするか考えます。その時の大洗がどうなのかも正直わかりません。
増える大洗への移住者
ー大洗に移住している人は増えているのでしょうか?
近:増えてますね。自分が移住した時には100人位ときいていたのですが、今では役場の人の話だと200人を超えているらしいです。
米:全然知らない人も増えていて、最近良く来るねと思ってたら実は移住していたとか。
ーそれは凄いですね
近:友達も何人か移住してきていますね。
ー少子高齢化で税収が激減し、各地の自治体が必死に若い人、特に消費が多いオタク的な趣味を持つ人を呼び込もうという動きが多いそうですが、そういった流れ中での移住者増加というのはとても良い流れですよね。
近:移住から生活の基盤を作り、大洗に家を建てた人も何人かいますね。
米:人口の6%が移住者ですからね。けっこうな割合です。もうすぐ消費税率と同じ位になりそうです。
ーなるほど(笑) 最後に大洗に移住したい人にアドバイスなどあれば是非
米:とりあえず来てみたら?。なんとかなっちゃうから。移住後に仕事してない人も多いし、大洗町は、住人や他の移住者が皆で支えちゃうんだよね。最初から固く仕事決めてくるのではなく、家だけ決めて移住してみて、とりあえず遊べばいいんじゃないかな。何とかなるから。
近:本当に、自分がいい気分になれることをやれればいいので、得意な事だけをすればいいです。
米:ORACLE大洗の、運営的な考え方の根本でもあるね
近:得意なことだけする。苦手なことは人にやってもらう。それが大事。
米:やりたいことしかやらないから、うまくいく。移住しちゃえばなんとかなるよ。しんいちさんも明日から大洗町に来ても、絶対になんとかなるよ(笑)
ー私は飲食店(※)の経営があるので。移住したいのは山々ですが、店を畳んだら妻と相談します(笑)
米:いつでも大洗に来てください。
近:待ってますよ。
ーありがとうございます! 大洗の皆さんがお互いに助け合うという点。一番大切な事ですね。今日は大変ためになる話をありがとうございました!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ボクもガルパン好きで通うようになった大洗ですが、長年疑問に思っていた事を今回は存分にお伺い出来ました。
米川さんと近藤さんは、まるで兄弟のように息があっていて、なるほどこういう出会もあるのかと関心しました。インタビュー中にもありますが、地方自治体のみならず、東京の都市部でも少子高齢化が深刻化していて、なんとか若者を集めようと必死になっています。
そんな中で昨今は『アニメで町興し』がブームになっている感がありますが、大洗町は際立って成功している例だと言えます。これは、アニメコンテンツにだけ頼るのではなく、遊びに来た『アニメファン』を『大洗町のファン』に変えていくという、町の皆様の努力があってこそだと再認識しました。
一過性のブームではなく、継続して長く遊びに来てもらえる街づくり。ここに、これからの聖地の未来が見えてくるのでは無いでしょうか。
お読み頂きありがとうございました。