2022年2月1日に、作家であり政治家でもあった、石原慎太郎氏が亡くなりました。生前は政治家として歯に衣着せぬ発言がニュースなどで話題になりましたが、一方で作家としての経歴も長く、芥川賞の受賞経験もあるという多才な方でした。
執筆した小説の多くは映画化され、なかでも兄弟とヒロインの三角関係を描いた『狂った果実』は、弟であり役者の石原裕次郎がブレイクした作品として今も有名です。
そこで今回は、作家・石原慎太郎の原作を映画化した作品を5作ご紹介。個人的にお勧めしたい作品から、世間を賛否の渦に巻き込んだ問題作の実写化までをまとめました。
記事の索引
作家と政治家の顔を持つ石原慎太郎氏
1932年兵庫県生まれの石原慎太郎は、一橋大学法学部に在学しながら執筆した小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞。反道徳的な若者の生き様を描く作風で一世を風靡(ふうび)し、当時は石原慎太郎自身も多くの人に注目される事となりました。
1968年には参議院全国区に出馬してトップで当選。当時獲得した300万票という数は史上初の数字でした。衆議院議員としては、環境庁長官、運輸大臣などを務めると、1999年に東京都知事に就任。2012年まで都知事を務めました。
メディアで話題となった発言とは?
石原慎太郎といえば、生前政治家として多くの発言が注目を集めたことでも知られています。
- 「政治が国民から軽蔑されるほど無力になったのは政治家の責任だ」
→平成7年、議員辞職を表明した際の発言 - すす入りのペットボトルを会見中に振りまいて
「これを総理大臣も生まれたての赤ん坊もみんな吸っている」と発言
→ディーゼル排ガス規制の記者会見 - 都知事に就任した小池都知事について
「大年増の厚化粧がいるからな。私はあの人うそつきだと思いますね」
とコメント。
→小池都知事も「厚化粧はダメで薄化粧だったらいいんですか。そういう問題でしょうか」と応酬。
なかには反感を買うコメントもあるこれら「石原節」ですが、他人の顔色を伺いながら話すことは一切せず、自分の考えを包み隠さず言うスタンスは、たびたびメディアで取り上げられました。
作家としての石原慎太郎
『太陽の季節』(1955年)の出版により、昭和生まれ初の芥川賞作家となった石原慎太郎。
同作品に由来し、登当時の倫理観にとらわれない奔放で無鉄砲な若者の事を『太陽族』と称する流行語も登場するほど。とはいえ、その反道徳的で異色の作風は、当時若者達を中心に人気を集めました。
昭和三十年(一九五五)に発表された石原慎太郎の小説「太陽の季節」が広く読まれて流行した語。既成の秩序にとらわれないで、奔放に行動する戦後派青年の典型の一つ。
太陽族とは – コトバンク より
反面、その反道徳的・反社会的な作風は色々な意味で注目を集めています。
そして1958年に出版された『完全なる遊戯』では、青年たちが精神病を抱える女性を監禁・乱暴・殺害するという恐ろしい内容となっており、これも激しい賛否、議論が交わされたようです。
また、石原慎太郎は作家活動に付随して、映画の脚本や監督に挑戦したこともあります。
弟・石原裕次郎が主演を務めた『狂った果実』(1956)や『錆びたナイフ』(1958)での原作脚本。1958年にはボクシング映画『若い獣』の監督を務めています。
なお、作家としての活動は2014年に政界を引退したあとも精力的に行っており、2016年には田中角栄元総理大臣の生涯を一人称で綴った『天才』がベストセラーとなっています。
石原慎太郎 原作映画 おすすめ5作品
今回はそんな石原慎太郎の原作映画の中でも、初期に制作された5作品をピックアップしました。前述した『太陽族』が流行語となるきっかけとなった作品や、弟・石原裕次郎の主演作など、社会に反発する主人公たちの活躍を描いた作品をメインにご紹介します。(一部ネタバレを含みます。ご注意ください!)
愛情を『カネ』に置き換えた 『太陽の季節』(1956)
虚無感を抱えながらも、ボクシングに明け暮れる高校生・津川竜哉(長門裕之)は銀座でナンパした少女・英子(南田洋子)と肉体関係を結ぶ。英子は竜哉に惹かれていき、竜哉も初めはその気だったが、次第に嫌気が差して兄・道久(三島耕)に英子を5000円で売りつけるようになり……。
タイトル | 太陽の季節 |
公開日 | 1956年5月17日 |
監督 | 古川卓巳 |
脚本 | 古川卓巳 |
出演 | 南田洋子、長門裕之、三島耕、石原裕次郎ほか |
配給 | 日活 |
関連リンク | https://www.nikkatsu.com/movie/20123.html |
特に熱中するものがなかった高校生が、ボクシングに取り組む姿は若きエネルギーに満ち溢れています。石原慎太郎はボクシング観戦記の執筆や、1971年に全日本キックボクシング協会を設立しており、この作品もボクシング映画として、試合のシーンなどもしっかりと描かれています。
本作では兄・道久が要領の良い青年と称され、弟・竜哉は親からも「何を考えているのかわからない」と言われるほど、目的もない日々を送っています。ヒロイン・英子との恋愛に嫌気がさして、兄に金を払ってそちらに気が向くように仕向けるだけでなく、女性からプレゼントされた花束を笑いながら壁に投げつけるシーンなど、愛情を形で表現しながら粗末に扱う演出は賛否が分かれそうです。
しかしラストで竜哉が見せた“怒りのシーン”を観ると、自分の取り返しのつかない行為を悔やむと同時に、本当に大切なものに気づいたように見えます。その点は少しだけ救いのある結末だと感じました。
本筋とは関係ないのですが、竜哉の父親が「俺は鍛えてるから腹を殴られても平気だぞ!」とマウントを取っておいて、竜哉から思いっきり殴られると「ううっ…」と普通に痛がるシーンは笑ってしまいました…ダサい…汗
若者の三角関係を描いた『狂った果実』(1956)
やんちゃで粗暴な兄・夏久(石原裕次郎)と、純粋で真面目な弟・春次(津川雅彦)はバカンスで逗子に訪れる。春次は駅ですれ違った娘・恵梨(北原三枝)に一目ぼれし、やがて2人は関係を結ぶ。ところが恵梨には夫がおり、その事実を知った夏久は恵梨を脅して半ば強引に関係を結ぶ。しかし恵梨は夏久にも惹かれるようになり、兄弟と恵梨の三角関係は思わぬ方向に進みだす。
タイトル | 狂った果実 |
公開日 | 1956年7月12日 |
監督 | 中平康 |
脚本 | 石原慎太郎 |
出演 | 石原裕次郎、北原三枝、津川雅彦ほか |
配給 | 日活 |
関連リンク | https://www.nikkatsu.com/movie/20136.html |
石原裕次郎が初の主演を務めてブレイクした青春映画。
青春といっても爽やかなものではなく、主人公・春次とその兄・夏久、2人の間に揺れるヒロイン・恵梨がたどる悲劇を描きます。本作では石原慎太郎が脚本を担当しただけでなく、特別出演(海岸の遊園地でチンピラにボコられる役)も果たしています。
うぶな高校生である春次が(いろんな意味で)大人の階段を上る作品でもあり、夏久が恵梨の恋敵になったことで、2人の溝が広がっていく展開もなかなかに過酷。純粋な春次に反して、実は恵梨の思想や振る舞いも共感しずらい面が見える意外性もあります。
この作品の前に公開された『太陽の季節』と若干キャラクターの関係性が似ていますが、ラストの展開や、ラストシーンで春次がとった愛憎に対する”答え”の行為は大きく異なります。最初はあどけなくて可愛らしい春次ですが、ラストの夏久と恵梨を見据える冷たい目線は必見。もはや同じ人物ではないことを目で語る印象的なシーンです。
エンタメ要素が豊富! 『錆びたナイフ』(1958)
戦後間もない工業都市。暴力組織との黒いうわさが絶えない運送会社社長・勝俣を起訴しようと躍起になる狩田検事(安井昌二)のもとに「5年前に自殺した市会議長は他殺だ」との手紙が届く。その手紙の主・島原を尋ねる狩田検事だが、島原は何者かに殺されてしまう。しかし手紙の内容には、ほかに橘(石原裕次郎)・寺田(小林旭)という目撃者がいたと記されていたーー。
タイトル | 舛田利雄 |
公開日 | 1958年3月11日 |
監督 | 中平康 |
脚本 | 中平康、石原慎太郎 |
出演 | 石原裕次郎、小林旭、北原三枝、安井昌二ほか |
配給 | 日活 |
関連リンク | https://www.nikkatsu.com/movie/20236.html |
石原裕次郎のハードボイルドなイメージが確立された作品であり、代表作でもあります。
石原慎太郎の作家としてのキャリアを知らずとも、この映画のタイトルを聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。石原裕次郎は最愛の人を殺され、その復讐を果たしたことで刑務所に送られた青年・橘を演じています。脚本は石原慎太郎本人が執筆しました。
身勝手な若者たちを描いた『太陽の季節』や『狂った果実』とは一転、橘は刑期を終えたあと、バーのオーナーを務めながら、必死に社会復帰をしようとする健気な人物。しかし、自分が本当に復讐すべき人間がまだ生きていると知ると、復讐の時に使ったナイフを再び手にして、犯人を探し出します。
石原慎太郎の原作映画としてはエンタメ要素も豊富で、肉弾戦から大型車によるヘビーなカーチェイスは必見。また、工業地帯が舞台となっていることから、インダストリアルなロケーションも泥臭い感じがして良いです。
個人的には橘の弟分、寺田が何度も手のひらを返すので、こんなヤツをそばに置くのは物騒だなあ…とも思いました。そんなお人好し(?)な橘のキャラクターも、本作の見どころかもしれません(笑)
衝撃の問題作をどのように映画化した?『完全な遊戯』(1958)
就職活動真っ只中の学生グループが、競輪の私設車券売り場でイカサマをして一攫千金を狙うクライム・青春活劇。学生たちは計画の中で、車券を売る”ノミ屋”のヤクザ(葉山良二)から金を得るために、彼の妹(芦川いづみ)を人質にとるが、グループの一人は彼女に惹かれていき……。
タイトル | 完全な遊戯 |
公開日 | 1958年11月12日 |
監督 | 舛田利雄 |
脚本 | 白坂依志夫 |
出演 | 小林旭、芦川いづみ、葉山良二ほか |
配給 | 日活 |
関連リンク | https://www.nikkatsu.com/movie/20294.html |
この記事の冒頭でも少し触れましたが、本作の原作小説は『精神疾患の女性を若い男たちが誘拐・監禁したうえに乱暴をし、最後には殺害する』という救いのないストーリーが賛否の嵐となりました。映画版では学生たちによるクライム要素で脚色されたことで、ややエンタメチックな作品に様変わりしています。
脚本家は『青空娘』(57)『盲獣』(69)で知られる白坂依志夫。設定は大きく変わりましたが、原作で描かれた若者の身勝手なふるまい、何の罪もない女性が若者の欲望に振り回される胸糞悪い展開は健在。
特に映画版では学生のひとりが、人質となるヒロインに惹かれながらも、仲間たちの勢いに飲まれてしまう展開が見どころとなっています。目の前にある幸福を無視してでも計画に加担する行為は、『狂った果実』で主人公・春次が言っていた「結局、みんな自分が何をしたいのか、分かっていないから退屈って言うんだ」というセリフにも通ずるものがあります。
本当に大切なことが分かっていれば、彼は計画などに加担せずに、ヒロインと逃げることだって出来たはず……。
細かいところで原作のオマージュとみられるセリフもあります。ヒロインが学生の一人に声を掛けられた際には「あなたのような人をいちいち全員相手にしていたら、サナトリウム行きよ」と返しました。これは原作小説における女性が、精神病院から抜け出してきた設定にかけていると思われます。
今回紹介した原作映画の中では、やや胸がスッとする終わり方をする作品でもあります。
ライターイチオシ! 『乾いた花』(1964)
ヤクザの抗争で人を殺し、3年の服役から出所した村木(池部良)は賭場で1人の少女・冴子(加賀まりこ)と出会う。村木は危険な賭場にも臆せず挑む冴子と徐々に親しくなる。しかし、賭場に居座る不気味な青年・葉(藤木孝)の存在が村木に危機感を与える。さらにヤクザの抗争が再び勃発。相手を殺す役を引き受けた村木は、人生を退屈に感じている冴子に「殺しを見せてやる」と打ち明けるが…。
タイトル | 乾いた花 |
公開日 | 1964年3月1日 |
監督 | 篠田正浩 |
脚本 | 馬場当、篠田正浩 |
出演 | 池部良、藤木孝、東野英治郎、加賀まりこ |
配給 | 松竹 |
関連リンク | https://movies.shochiku.co.jp/100th/kawaitahana/ |
最後に、筆者が石原慎太郎の原作映画とは知らずに鑑賞していた、お気に入りの作品をご紹介します。
本作の主人公・村木は刑期を終えたばかりのヤクザで、ヒロイン・冴子は危険な賭場にも臆せず乗り込む気の強く若い女性。
2人に共通するのは、社会からつまはじきにされ、自滅願望さえ抱えて生きていること。
しかし村木は危険な行為に走る冴子を厳しく叱ったり、自分を殺そうとしたが、心変わりした青年の面倒を何かと見てあげたりする優しい一面も持ち合わせています。薬物をする者に対しても「薬は自分で自分を引っ張りきれないやつのすることだ」と、至極まっとうな意見をいう事すらあります。それだけに、なぜ村木がヤクザとなり、自分の人生を棒に振るような行動をしてしまうのか? という点で深く考えさせられます。
『太陽の季節』のような若者がエネルギーを持て余して虚しい行為をするのとは異なり、人生に絶望している男女が織りなす物語は、ある種の退廃的な美しさを持っていました。
演出面でも見るべきところは多くあります。
OPは前衛的で不協和音にも似た電子音楽が起用されています。また、賭場の緊迫した場面や、村木が再び殺人を犯すシーンでは壮大なオペラが流れるなど、60年近く前の作品でありながら、昨今の映画でもあまり見られない斬新でナーバスな演出は必見です。
個人的にはこの作品を、『落ち込みたい日』に観るのがお気に入りです。
5作品を観て気づいた共通点
今回は映画化された原作の中でも、初期の作品をメインに鑑賞しましたが、以下のような共通点を見つけました。
主なの共通点
- ヒロインが死ぬエンド(5作中ヒロインが死んでいない作品は『錆びたナイフ』のみ)
- 「太陽族」の若者による行為は『KIDS/キッズ 』(1995)や『BULLY ブリー』(2001)を手掛けたラリー・クラークの作風を連想した。
- 社会に対しての期待値が非常に低い。
- 反社会・半人道的な人物が主人公(太陽族、元ヤクザ、出所したばかりのヤクザ)
特に印象的だったのが、『錆びたナイフ』以外のヒロインが死んでしまう展開です。
『狂った果実』のヒロインは自分の浮気を正当化するなど、擁護しにくい考えの持ち主でしたが(それゆえに彼女は他殺という結末を迎えている)、ほかのヒロインは太陽族である青年たちの勝手な行動に巻き込まれ、自死に追い込まれてしまいます。(『乾いた花』はやや特殊なケースでしたが…)
多くの作品に感じる”胸糞悪さ”は、この展開が大きいと思いました。
そしてこうした作風は、セックスやドラッグに溺れ、自堕落な日々を送る少年少女を描いた『KIDS/キッズ 』や、ティーンエイジャーたちがいじめっ子を殺害した実話をもとにした『BULLY ブリー』(2作ともラリー・クラークが監督)にも通じています。重いテーマに反して、登場人物たちの軽いノリが観客の精神をざわつかせる点で非常によく似ていました。
これらの作品のように、倫理観の欠落した主人公を今の邦画で描いたら、観客はどんな感情を抱くのか……個人的にはとても興味があります。
当記事で紹介した5作品は気分の悪くなる演出も多数あるものの、共通して主人公の後悔や決別を強烈に描いており、その対比がとても印象的でした。そして石原慎太郎氏が政界で歯に衣着せぬ発言をしたいたのも、こうしたテーマの作品を臆せず世に出す力強さと共通しているようにも思えました。