クソアニメ ポプテピピックに負けない『アイドル脱糞系クソ小説家 木下古栗』の作品を読もう

執筆: まちゃひこ アイコン まちゃひこ

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どんなに落ち着き払った紳士淑女であっても、誰もがかつて「うんこ」「おしっこ」で笑っていた無知で純粋な時代があった。私はそう信じている。

2018年1月より配信されたアニメ『ポプテピピック』は、作中で「クソアニメ」という言葉が連呼され、また視聴者からも「クソアニメ」と多数の言及を受けている。本作は過剰なパロディと毎回変わる声優、本編中に本編の再放送を行うといった奇抜な構成が採用され、従来の「アニメらしさ」から一線を画した作品となっている。

しかし、このアニメに対する評価の特殊さは「クソ」という価値観にある。

もともと排泄物の俗称であるこの言葉は、その目を背けたくなるような醜悪さから批判のために用いられることがほとんどだったが、このアニメにおいての「クソ」とはそれが賞賛の意味へと転移している。

愛すべき‘クソ’アニメ――もちろんこのように表される作品は『ポプテピピック』がはじめてというわけではない。個人的に思い入れのあるクソアニメで『人造昆虫カブトボーグV×V』という作品があるが、「毎回最終回」というコンセプトや支離滅裂なストーリー、「予告で伏線を回収するなどのあまりにも破天荒すぎる作品がゆえ「地上波での放送を拒否された」と言われる。この作品もまた、「アニメらしいアニメ」にとらわれない自由さをを持った「光り輝くクソ」である。

こうした「悪ふざけが過ぎる作品」というのは、実はアニメに限ったことではない。ひとつここでご覧いただきたいものがある。

  • 極上なる下品――(20代・男性)
  • お勧めしたくありません、もちろん良い意味で。この世界、共有させてなんかやるものか――(20代・女性)
  • 女子としては勧めにくい。けど、やっぱり面白いから変装して勧めます――(40代・女性)
  • むかつくヤツに、この本を渡してみたい――(30代・女性)

以上は木下古栗(きのした ふるくり)の小説集『金を払うから素手で殴らせてくれないか?(講談社)』の帯に寄せられたモニター読者からの声だ。彼もまた”クソ”の一員として、一部のコアな読書家からカルト的な人気を集める小説家なのだが、今回はそんな彼の作風を通して「クソという言葉」について改めて考えてみたい。

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木下古栗という作家

小説家である木下古栗は、村上龍や村上春樹をはじめとした、日本純文学に大きな影響を与えた作家達を多数輩出する純文学の登竜門「群像新人文学賞」を受賞(2006年)してデビューを飾る。

この時の作品『無限のしもべ』は不幸にも単行本化されていないのだが、簡単に説明すると駐車場でティー・パーティーをしたり勃起したりフリスビーに興じたり女装したりする作品で、選考会では反対意見もあるなか、多和田葉子氏の強い支持もありなんとか世に出るに至った。

木下はデビュー当初から中学生レベルの下ネタを多用した「2ちゃんねらーが間違って小説を書いてしまった」かのような作風を一貫しており、読めば読むほど時間をドブに投げ捨ててしまったかのような圧倒的な無意味さで読者の脳みそを溶かしにかかってくる。

2018年4月現在……

  • ポジティヴシンキングの末裔(早川書房 2009年) [PR amazon]
  • いい女vsいい女(講談社 2011年)[amazon PR]
  • 金を払うから素手で殴らせてくれないか?(講談社 2014年)[amazon PR]
  • グローバライズ(河出書房新社 2016年)[PR amazon]
  • 生成不純文学(集英社 2017年)[amazon PR]

の5冊が単行本となっており、『グローバライズ』は人気番組『アメトーーク!』にて光浦靖子が取り上げたことでも話題となった。

クソとは何か――アイドルと脱糞

さて、ここで昨今新たな意味づけがなされつつある「クソ」という概念について、少し詳しく整理しておきたい。

私は『カプリスのかたちをしたアラベスク』というブログを運営しているのだが、ここでアニメ『ポプテピピック』を題材に「クソ」という概念について検討したことがある。

クソアニメとは何か?――表現形式としての「クソアニメ」/アニメ『ポプテピピック』評

この記事のなかで私は郡司ペギオ幸夫による身体性の議論をもとに、創作物は「それ自身が自己主張する‘わたし性’」と「環境にもたらされる‘わたし性’」のふたつを持ちうるという主張をした。そしてアニメ『ポプテピピック』は後者であることを強く自覚し、「アニメとしてつくられたからアニメなのだ」という環境に依存した自己を確立し、

”「一般的なアニメ像」を内部から破壊することによって視聴者との「アニメ観」に激しい乖離をもたらした。”

という結論に至った。そしてこの乖離こそが「クソ」という評価になり、これは作品の良し悪しでなく、「クソ」という表現形式を意味している。

純文学作家である木下古栗もまた同様の形式破壊を用いた創作を行っており、これについてはnoiseveryによるブログ『愚痴、自虐、時々書評。 灰色の日々をおくる踊り場的暇人大学生による雑感垂れ流し気まぐれをヲナニーブログ(仮)』にて、同様の指摘がなされている。

木下古栗は、さっき書いたようにほぼ全編にわたって「アイドル」化された言語たちをつかって、下ネタを語る。木下古栗を読んだとき感じる面白さはこのチグハグ感から(も)来るところが大きいわけですけど、それはまさに木下文学がひとつの「アイドルのウンコ」として機能しているからではないか。「恋愛の解体~(※)」の中ではいまだ「アイドルのウンコ」は作品内の要素として登場するのみだが、木下古栗の作品はそれそのものが「アイドルのウンコ」として、「世界」を内包しているのである。

アイドルのウンコが「世界」を内包する(木下古栗論)
※前田司郎 著「恋愛の解体と北区の滅亡」

この記事では、一般的な人々が文学に抱く理想的なイメージ(高貴さ、格式高さ、壮大かつ深遠なテーマを持っている……)を「アイドル」とたとえ、この文学という形式を採用しつつも上記のようなイメージの対極にあたる事象(=ウンコ)をひたすら記述することを、木下古栗のオリジナリティだと評している。はっきり言って、あまりにも的確すぎて敗北感すらする批評である。

この「アイドルに脱糞させる」という行為は、特定の作品でなく「文学」という表現形式に対してのパロディそのものだと考えることができ、「パロディによる形式破壊」としてアニメ『ポプテピピック』との共通点を見出すことができるだろう。

ちなみに誤解を受けないように指摘しておくと、木下古栗の作品で「アイドルに脱糞させる」というものは(ぼくの知る限り)存在していない。そのかわりに、おっさんの野糞を巧みな料理技術を駆使した弁当で意のままに染め上げる「虹色ノート」という作品なら存在している(単行本『生成不純文学』収録)。

名作『Tシャツ』で描かれる壮絶なアンチロマン

長々と「クソ」について語ってしまったが、最後に私が偏愛してやまない『Tシャツ』という作品を紹介したい(単行本『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』収録)。

この作品は単行本の表題作ではないものの、木下ファンのなかでも非常に評価が高い作品で「最高傑作だ!」という声も少なくない。

どういう作品かといえば説明が非常に難しいのだが、大麻を愛好するフレンドリーというか図々しいというか、とにかくパワフルな外国人・ハワードが数十年ぶりに来日し、支離滅裂な生活を展開するという筋が一応あるが、物語の途中でハワードは突如姿を消し(パチンコに狂っていたせい)、終盤予告なしに帰国したとのことが明かされる。その他登場する人物も謎の短絡的な思考を持つ「クソみたいな」人間ばかりで、彼らが繰り広げる騒動劇を圧倒的な筆圧により猛スピードで描いた作品だ。

とりわけ本作が注目を集めたのは、終盤で現れる「まち子無双」である。

木下古栗『Tシャツ』より 「まち子無双」

それまで脇役だった「まち子」という登場人物が突如作品内で暴れ出し、いろいろあって地球が消滅して物語の幕は閉じる。

実はこの手法自体は、ロシアで「現代文学のモンスター」と呼ばれるウラジミール・ソローキンによる傑作『ロマン(国書刊行会 望月哲男訳 1998年)』のパロディとも言われている。

この『ロマン』という作品は、ロマンという男が19世紀ロシアの文学的世界を生き、「ロマンは死んだ」の一文で終わる作品である。

ウラジミール・ソローキンによる傑作『ロマン(国書刊行会 望月哲男訳 1998年)』

ウラジミール・ソローキン 『ロマン(国書刊行会 望月哲男訳 1998年)』

上記のような「ロマンは○○した」という文章は上下巻あるうちの下巻の後半約100ページわたって改行なくひたすら続くのだが、それまで堅実に守られていた19世紀ロシア文学的世界を「ロマン(=小説)の死」でもって解体するという偉業を成し遂げている。

『Tシャツ』の「まち子は○○した」は悪ふざけかもしれないが、最終的に地球は消滅し、宇宙は果てしなく存続するという形に落ち着く。小説というアイドルは時代とともにそのありかたを変えていくが、しかし「小説そのもの」は永遠に生き続ける。

木下古栗は一見して小説そのものを否定しているような作家に思われるが、小説そのものをどこまでも信じている作家なのだと私は思う。

「小説なんてオワコン」と思っている連中は、すべからく木下古栗の「クソ小説」を読むべし。

今すぐに、だ。


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